第5章 スペイン、フラメンコ発祥の地ヘレス・デ・ラ・フロンテーラでの日々

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様々なギタリストを当たりました。ヘレスにはフラメンコのフンダシオン(と現地では言っていた。Centro Andaluz de Flamencoのこと。) というのがあってそこでゲットしたギタリストの情報を元に先生探しを始めたのです。 レコードでジプシーの弾くギターと普通のスペイン人の弾くギターでは音色が違うとなんとく感じてはいましたが、向こうで何人かの先生にレッスンを受けてみて納得しました。 さすがにモライート(Moraito1956~)にレッスンを受けることはできませんでしたが、数名の現役ジプシーギタリストにお会いし1レッスンを受けては次という風にして理想の先生を捜しました。 そうして出会ったのがアントニオ・へーロ(AntonioJero1957~)というギタリストでファミリア・へーロ(ヘロ一族)の三男でした(たしか)。お兄さんたちも踊りにギターとフラメンコのアーティストでした。


師アントニオのギターを聞いたときは、まさに衝撃×笑撃ともいえる出来事でした。躍動するリズムは列車に乗ったみたいに遥か遠くへ一気に誘い繰り出されるファルセータ(フラメンコのギター・フレーズのこと)は生き物のよう・・・何というか、「あぁそれ、それそれっ!」という感じで捜していたものが見つかったような瞬間を味わったのです。そうして定期的にレッスンを受け始めました。


向こうでは、レッスンとは言っても、楽譜も無く、体系化された何かがあるわけでもなくただ気まぐれに、「じゃ今日はこれでもやるか」みたいな感じでリズムを弾きはじめ、乗ってきたら、ファルセータが即興的に飛び込んで来て。それをゆっくり弾いて見せてくれる・・・。そうやって一つ一つフレーズを弾き覚えるような感じです。・・・ギターを習えること自体が喜びに感じた日々でした。


しかし、しばらくたって、師が北欧に演奏旅行に行くことになったというのでレッスンは中断となりました。せっかく出会えた師匠だったというのに、なかなかうまくいかないものですね・・・。 代わりに兄を紹介するというので従うことにしましたが、その人がさらに大物・・・。かつて第一線で活躍していたぺリキンことニーニョ・へーロ(PeriquinNinoJero1954~)という方でした。ちなみにそのお方当時は、色々と問題もあって大人しくしていたのだが・・・。とにかくその人のギターがまたすごかった(汗)・・・。


ギターでそんな音が出るのか、そんなに壊れるほど弾いていいのか!?と思わせる、その音がすごかったです。しかしそこには形容しがたい哀愁というか郷愁が染み込んでおり弟さんのモダンなカラーのギターとはまた一味もふた味も違っていました。そうして今度はそのお兄さんの方に習いました。


月日は流れました・・・。


私も体温が平熱となって落ち着き、自分を振りかえったりしました。


スペインに来て分かったことがジプシーの弾くフラメンコは他のスペイン人などが弾くものとは違うということでした。パコ(PacoDeLucia1947~)でも出せない何かがあり、私はそれに惹かれていたのだ、と悟りました。音楽的には、ビセンテ(VicenteAmigo1967~)などとても素晴らしく好きなのですが、また違う何かが・・・。それは結局、血筋の問題だという結論に至りました。


自分の血統をさかのぼってみたら・・・。ジプシーではないことが分かった(当たり前)!ルーツを辿る性格上、本当のフラメンコにこだわるならば、それは私がやるべきことでは無いというのがもう一つの結論でした。


では真のフラメンコ音楽がゴールでないならば「俺は何をすればいいのか?」また悩み始めました。 ついにスペインまで来て、またもや駄目生徒になりました。レッスンは休みがちとなり悩める子羊状態で仮住まいのまん前にあったイグレシア・サン・ミゲールという教会に興味半分に行ってみたり。(ところで、充である私の呼び名も、ヘレスではMiguelだったり・・・) 中世のたたずまいそのままの教会の荘厳な空気の中に身を委ね、いつしか毎日のように行くようになりました。自分の心との対話の時間をもてたのです。 スペインの教会の雰囲気が気に入って毎日ミサの時間になると賛美歌を聴きに行きました。また教会ではクラシックのコンサートもしばしばありモーツアルトのレクイエムなんかもそこで聞いたのですが、とても良かったです。


そうこうしている内にお金も尽きて、飛行機のチケットの有効期限も迫り日本に帰らなければならなくなって・・・。


アンダルシア内を小旅行したあとへレスの街に戻ったある日のこと。ふと感覚的に、「あれ、今あの場所で師アントニオに会えるような気がする・・・」とひらめいたのです。ちょうどスペインを去る前にお礼が言いたいと思って手紙をしたためていたところでした。
それでとにかくその通りめがけて足を速めたら・・・。師と再会する場面が映像で心の中にきらっと浮かび上がったそのごとくにまさにその小さな通りで、家屋から出てくるアントニオとぺリキンの姿がそこにあった!実際にその通りになったのです!それは光のような出来事で不思議な感覚に襲われました。


「オラ!ミゲール!久しぶり!」 その場で手紙を読んでくれた師は「ブエン・センティード!」と言ってくれました。 手紙には、「僕はフラメンコではなく、ジャンルを超越したあるいはどんなジャンルにも共通する音楽のあり方を見出して、そういう音楽がしたいんです・・・」的なことを書いたはず。


こうして、スペインを後にしました。

 

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 第1章:金沢

 第2章:大阪

 第3章:静岡

 第4章:日本

 第5章:スペイン

 第6章:帰国後

 第7章:音楽を超えて

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