第2章 大阪時代

聞いていた音楽はショパン(FredericChopin1810~1849)、クラシック全般。ロックではクイーン(Queen1973~)、ジミヘン(JimiHendrix1942~1970)、ジャズではジョーパス(JoePass1929~1994)など。親戚が皆クラシックファンで、声楽やピアノをやっている叔父叔母がたくさんいました。ロックだけに向かっていたときはそういう人たちの存在には気づかなかったのですが浪人中には叔父叔母さんたちに色んなCDや書籍を借りてはクラシック音楽に心を開いていきました。特にはまったのがショパンのピアノ音楽。
慣れない楽譜屋に入って、「ピアノも弾いたこと無いお前が?」と自分でおどおどしながらショパン全曲集の楽譜まで買ったりして眺めていたのを思い出します。ホロビッツ(VladimirHorowitz1903~1989)、コルトー(AlfredCortot1877~1962)、フランソワ(SamsonFrancois1924~1970)、などあらゆるピアニストで聞き比べたりもしました。

 
この頃から和声学つまりコードのハーモニーのとりこになり自分なりに勉強もしはじめました。その後もショパンを皮切りにリスト(FranzLiszt1811~1886)、ラフマニノフ(SergeiRachmaninov1873~1943)、その他ごくごく名高いクラシック・ピアノ、そして管弦楽など聴くものの幅は広がっていきました。もう一つ特にはまったのがスクリャービン(AlexanderScriabin1872~1915)でした。

 
スクリャービンを聞いた影響で調性音楽から離れそうにもなったのですが、シェーンベルク(ArnoldShoenberg1874~1951)等までは結局聴きませんでした。


大学時代には、クラシックを聴きながらも、ギターはロック系で、ルーツを辿るという性格上、ジミヘンにたどり着きました。


最初はその良さが分からなかったのですが大学時代のライブではなんちゃってなりきりジミヘンを弾き語ったり(そういえばそんな事もしてた・・・)。そのころはストラトを持っていました。


ブルースも好きでゲイリー・ムーア(GaryMoore1952~)やスティービー・レイボーン(StevieRayVaughan1954~1990)なども聞いてやはりロバート・ジョンソン(RobertJhonson1911~1938)などのルーツも探って聞いたりしましたね。それから、ギターメインではありましたがジャズ系も聴くようになり、アールクルー(EarlKlugh1953~)やジョーパスなどにも興味を持ちました。


大学に行っても不勉強でした。自分がしたいことしかしない駄目学生でしたので・・・。夜中までバイトして朝起きれず学校自体もサボりがちになっていった私は悪徳商法にも引っかかる初心な田舎者だったので、不要なローンまで抱えるほどの、若気の至り君でした。


一方で、家庭教師もしました。高校の恩師の姪っ子さんだったと思います。そのお宅に通う中で立ち寄った本屋で、とある専門学校の情報を見つけることに・・・。


音楽に関しては大学では、聴講生として音楽学部の授業も学び音楽学部の学生たちと友達にもなり、いろいろな音楽に関する熱いカンバーセーションを試みたものの意外にも、彼らの気持ちが冷めていたのにショックを受けたりしました。・・・その人たちからは音楽に対する情熱がさほど感じられなかったのです。「そのためにこの大学を選んだのに・・・」という身勝手な不満を胸にますます学校へ行くモチベーションは落ちていきました。


そんな時の、「クラシックギター専門校」という言葉には、心がときめきました。お金を貯めて、親を説得し、音楽を専門的に学ぼうと、そのとき決めました。
そうして激変する日々を経て、今度は静岡へ・・・。


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 第1章:金沢

 第2章:大阪

 第3章:静岡

 第4章:日本

 第5章:スペイン

 第6章:帰国後

 第7章:音楽を超えて

 ミッションステートメント